
2019年03月11日 (月) | 編集 |
3.11あの日を忘れない
東日本大震災から8年の3月11日午後2時46分黙祷を捧げましょう。
☆3.11あの日を忘れない
福島被災動物救済活動を終了致しました。
連携ボランティアを解散致しました。
2019年3月11日 東日本大震災、津波と福島第一原発事故から8年のご報告
犬猫救済の輪 結 昭子
3月8日・9日の二日間、東日本大震災から8年の福島に行ってまいりました。活動を共にしたボランティアの仲間数名が福島に集合することができ、初めて笑い、初めて語り、また、涙しました。参加できなかった多くのボランティアさん達、本当にありがとう。
なぜ、8年も通い続けたのか、通い続けられたのか、なぜ8年も活動を続けられたのか。
皆、同じ答えでした。
「今何年目とか、あまり感じませんでした。いつも今、目の前に起きていることに向き合っていました。今、そこに苦しむ命があるから、何年たっていても、いつも、『今』でした。福島の人のいない町で、取り残された犬が猫が、孤独と不安の中で、飢えに苦しんでいる。来る夜も来る夜も冷たく、食べ物はなく、明日も生きられるか。どれ程悲しく淋しく辛いだろう。
誰にも目を向けられず忘れられた命にも、まだ、今があります。その命の、その今から、目を背けることはできませんでした。」
双葉町の海にて
双葉海水浴場、いつの日か海水浴場として甦る日は来るのでしょうか。


センサーカメラを使って生存確認を続け、2018年の終わりに、確認できた猫たちの全頭をこの区域から救出し終えました。その後も、センサーカメラは設置したまま、ボランティアさんが確認を続け、今年2019年2月、あと一匹発見され保護できました。3月になった今は、福島のバリケードで閉ざされた区域の中に、もう苦しむ猫達の姿は確認できません。震災から8年となる今回の活動を持って、ボランティア連携福島被災動物救済活動を終了し、連携ボランティアを解散します。あと一名、個人ボランティアさんが、東京から通い、今後も見守りを継続されますので、協力してまいります。
住民は避難し、人の立ち入りが厳しく制限された警戒区域、また警戒区域解除後も帰還困難区域としてバリケードで閉ざされた区域に、私たちは8年間通い続けました。
取り残された動物たちを救うためでした。
厳しく立ち入り制限された町に、どうやって立ち入っていたのか、動物を救い出すということが認められない中で、どうやって救い出すことができたのか、
その真実は、今日まで、明かされていません。明かせない理由があったからです。知っている人は、このバリケードの中で実際に活動した人だけです。全頭の救出を終えるまで、口をつぐむしか動物たちの命を救う方法はなかったのです。人質を取られているような弱い立場に置かれていました。真実を明かせば、私たちは、二度と検問を通過することはできなくなり、動物たちを救い出すことはできなくなります。
国も、福島県も、5つの町も、動物たちを見捨てました。
私たちは、バリケードの中にいる命を救う事を最後まで認められない中で、自分の信念でその多くの命を救うためにあらゆることを行いました。真実を隠したまま、全て終わったこと、何もなかったかのように町が変わっていくのを見て、複雑な思いです。
福島から戻り、今回は、写真や動画も沢山撮りましたので掲載しようと思ったのですが、お伝えしたいことは多すぎて何から書いてよいのかわかりません。少し、整理して、じっくりお伝えしてまいります。
天神岬より楢葉町

楢葉町
津波浸水深ここまで 身長を越える津波

富岡町
震災から3年後の富岡駅は、まだそのままの状態でした。

2014年3月の富岡町救済活動ボランティアガンさんのブログ
https://mike-neko.blog.so-net.ne.jp/2014-03-16
富岡駅現在


福島は、これからも語り続けてまいります。
東日本大震災から8年の3月11日午後2時46分黙祷を捧げましょう。
☆3.11あの日を忘れない
福島被災動物救済活動を終了致しました。
連携ボランティアを解散致しました。
2019年3月11日 東日本大震災、津波と福島第一原発事故から8年のご報告
犬猫救済の輪 結 昭子
3月8日・9日の二日間、東日本大震災から8年の福島に行ってまいりました。活動を共にしたボランティアの仲間数名が福島に集合することができ、初めて笑い、初めて語り、また、涙しました。参加できなかった多くのボランティアさん達、本当にありがとう。
なぜ、8年も通い続けたのか、通い続けられたのか、なぜ8年も活動を続けられたのか。
皆、同じ答えでした。
「今何年目とか、あまり感じませんでした。いつも今、目の前に起きていることに向き合っていました。今、そこに苦しむ命があるから、何年たっていても、いつも、『今』でした。福島の人のいない町で、取り残された犬が猫が、孤独と不安の中で、飢えに苦しんでいる。来る夜も来る夜も冷たく、食べ物はなく、明日も生きられるか。どれ程悲しく淋しく辛いだろう。
誰にも目を向けられず忘れられた命にも、まだ、今があります。その命の、その今から、目を背けることはできませんでした。」
双葉町の海にて
双葉海水浴場、いつの日か海水浴場として甦る日は来るのでしょうか。


センサーカメラを使って生存確認を続け、2018年の終わりに、確認できた猫たちの全頭をこの区域から救出し終えました。その後も、センサーカメラは設置したまま、ボランティアさんが確認を続け、今年2019年2月、あと一匹発見され保護できました。3月になった今は、福島のバリケードで閉ざされた区域の中に、もう苦しむ猫達の姿は確認できません。震災から8年となる今回の活動を持って、ボランティア連携福島被災動物救済活動を終了し、連携ボランティアを解散します。あと一名、個人ボランティアさんが、東京から通い、今後も見守りを継続されますので、協力してまいります。
住民は避難し、人の立ち入りが厳しく制限された警戒区域、また警戒区域解除後も帰還困難区域としてバリケードで閉ざされた区域に、私たちは8年間通い続けました。
取り残された動物たちを救うためでした。
厳しく立ち入り制限された町に、どうやって立ち入っていたのか、動物を救い出すということが認められない中で、どうやって救い出すことができたのか、
その真実は、今日まで、明かされていません。明かせない理由があったからです。知っている人は、このバリケードの中で実際に活動した人だけです。全頭の救出を終えるまで、口をつぐむしか動物たちの命を救う方法はなかったのです。人質を取られているような弱い立場に置かれていました。真実を明かせば、私たちは、二度と検問を通過することはできなくなり、動物たちを救い出すことはできなくなります。
国も、福島県も、5つの町も、動物たちを見捨てました。
私たちは、バリケードの中にいる命を救う事を最後まで認められない中で、自分の信念でその多くの命を救うためにあらゆることを行いました。真実を隠したまま、全て終わったこと、何もなかったかのように町が変わっていくのを見て、複雑な思いです。
福島から戻り、今回は、写真や動画も沢山撮りましたので掲載しようと思ったのですが、お伝えしたいことは多すぎて何から書いてよいのかわかりません。少し、整理して、じっくりお伝えしてまいります。
天神岬より楢葉町

楢葉町
津波浸水深ここまで 身長を越える津波

富岡町
震災から3年後の富岡駅は、まだそのままの状態でした。

2014年3月の富岡町救済活動ボランティアガンさんのブログ
https://mike-neko.blog.so-net.ne.jp/2014-03-16
富岡駅現在


福島は、これからも語り続けてまいります。
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